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医師へのあこがれ(その11)

医師へのあこがれ
2009.01.17.土曜日
医師へのあこがれ | 2009.01.17.土曜日

  試験が終了するまでの残り時間に、次の化学の問題を解かずにペンを置いてから、両親や親戚の人たちの残念がる顔が浮かびました。幼いことから親戚中で大切にされ、期待もかけられていました。その多くの人たちの期待を裏切ることになる。残り数分になっても最後の最後まで、次の問題を解きたい衝動に駆られました。
 浪人をしたからといって、医学部に合格できる保証などはありません。しかし、たとえつらい浪人生活をおくっても、このまま入れる大学に入ることよりも、入りたい大学に入ることを選びました。特別な努力もせず、自分自身の可能性に挑戦することもなく、このまま終わりたくなかったのです。
 大学に通いながら、仮面浪人として受験勉強を続ける方法もあったかもしれません。しかし、一旦入学してしまうと、また周囲の雰囲気に流されて、決心が揺らぐような気がして、自分には二足のわらじを履くことは出来ないと思いました。
 試験終了の合図がありました。結局、化学の次の問題は解かず、私の化学の解答はほとんど白紙でした。
 3月18日、阪大二次試験結果発表がありました。発表は10:00からでしたが、叔父が一緒に行くと言ってくれたので、待っていたら阪大中之島キャンパスに1時間以上遅れて到着しました。わかっていたことですが、合格者受験番号に私の番号はありませんでした。合格を願っていた叔父や両親の気持ちを考えると、自分がしたことの罪深さで胸が痛みました。
 叔父は私の不合格発表の帰路、天王寺あべちか(阿倍野地下街)で、カツ丼をおごってくれました。次回は”勝つど”との縁担ぎです。そのカツ丼屋は今のクリニックのすぐ近くのはずなのですが、どこのカツ丼屋かは思い出せません。
 後にわかったことですが、私の得点は合格最低点に3点足りず、阪大には不合格でした。たぶんあの時、化学の次の問題を解いていれば、阪大に合格していたでしょう。たった3点が私の人生を変えました。
 しかし、私は”医師へのあこがれ”を捨てきれず、浪人の道を選びました。安易に選んだ道ではないと自分では思っていましたが、その後の1年間の精神的重圧は、何度も何度も私に医学部をあきらめるようにと、反省と後悔を促すこととなります。暖かい春の訪れとは裏腹に、私の気持ちは晴れることなく、くらい長いトンネルへの出発をむかえました。(つづく)

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