わたしたち泉州人にとって、”ミクニ”には特別な響きがあります。大阪府立三国ヶ丘高校(三国丘高校)。旧制堺中学校が前身で、堺市と泉州の秀才が集まる有名名門校です。
中学3年の冬、担任のY先生から、そんな三国ヶ丘高校を受験してみてはと言われたときには、最初は冗談かと思いました。そのころの私の成績では、到底三国ヶ丘高校に合格できる成績ではなかったからです。Y先生は信じられない面持ちの私に、合格の可能性は五分五分だと言ってくれました。しかし、その時点で私が三国ヶ丘高校に合格する本当の正確な確率は、数パーセントしかなかったと思います。Y先生は五分五分だと私に言うことで、発破をかけたのだと思います。
思ってもよらないY先生からの提案に、まんまと乗せられたわたしは、その後の公立高校受験日までの短い間、追い立てられるように勉強をしました。受験当日、同じ中学出身者と一緒に受験会場に向かったのですが、私以外は合格が保証されているような秀才ばかりで、私が混じっているのに自分で少々違和感を感じました。
受験生が多い中学校の受験生たちは円陣を組んで、校庭でシュプレヒコールをあげていました。普通なら異様な雰囲気に呑まれて緊張するところなのでしょうが、私の場合、不合格で当たり前、合格すればで儲かりものくらいの感覚でしたので、意外と冷静でいられました。テストも難しい問題は最初からあきらめて、簡単に解ける問題から確実に解答していきました。
結果発表の日。3月も半ばを過ぎ、春の訪れを告げるアカシアの香りがする中、体育館横の壁に貼り出された発表者名簿に、自分の名前がありました。そのときは、まぐれだとも思いました。今思えば、それは確率が低くてもあきらめなかった結果であって、もしかしたら、奇跡でもまぐれでもなかったのかもしれません。
しかし、三国ヶ丘高校に入学した凡人は、入学後すぐに名門高校の洗礼を受けることになります。第1回目の中間テストで、私の成績はクラス46人中41位、数学にいたっては最下位でした。(つづく)
医師へのあこがれ | 2008.11.28.金曜日